Aug 16, 2011

外壁塗装と庭の手入れ

外壁塗装の必要性は、改めて深く考えるほど難しいことではないでしょう。外壁部は、住宅用地のようなもので気にジョムウンイプニダ。それでも外壁塗装の良さをきちんと考えても重要です。庭などを掃除すると、住宅の明るさが舞い込んでくるわけですね。その経験を多くの人が実感していきたいと思っています。
注文住宅の利点は、ユーザーが自由にできるという点ですね。私の音楽の先生は、最終的に注文住宅を手に入れて、なんと地下に音楽専用スタジオを作ってしまいました。楽譜を置く本棚までの作り付けのカスタム存分に素敵です。音楽をする人は、注文住宅と、それに合わせてスペースを確保して、グランドピアノが置いてや小さなサロンコンサートができるスペースがあればいいな、と夢が広がるよね。
相場英雄の時事日想:
 国会が内閣不信任決議案を巡って混乱していた6月初旬、筆者は郷里の新潟県三条市を訪れた。福島県南相馬市からの避難者をいち早く受け入れた三条市の國定市長を取材したあと、筆者は同市が設けた避難所を訪れた。

【相場英雄の時事日想:新潟県三条市の地図、避難所のようす、ほか】

 ここで接したのは「1日でも早く故郷に戻りたい」という浜通りの人々の切実な声だった。同時に、私利私欲で政治ゲームを展開する国会議員、そして被災者に不自由な生活を強いている東京電力に対し、筆者は強い憤りを感じた。

●「1日も早く帰りたい」

 大震災発生以降、筆者は東北沿岸部を中心に被災地を何度か訪れ、被災者の生の声を聞いて歩いた。また、甚大な津波被害を受けた地域では、人々が肩を寄せ合って生活する避難所も訪れた。

 三条市郊外にある福祉センターに設けられた避難所を訪れた際、筆者は違和感を覚えた。今まで訪れた避難所は周囲にがれきが散乱し、自衛隊や警察の車両が頻繁に行き来する文字通りの被災地だった。しかし、当然のことながら同市の場合は、周囲は全くの日常であり、取材当日は幼児向けの健康診断が実施され、若い親子がセンターを埋め尽くしていた。避難してきた住民たちの周囲には、日常の生活があった。避難された住民たちが、周囲の日常をどのような思いで見ているかと想像すると、複雑な思いだった。

 避難所専従の市役所職員に案内され、筆者は同避難所で世話役を務める杉義行さん(71)と会った。杉さんは南相馬市の小高区出身。元々は大工さんだったごく普通の男性だ。あの日、「今までに感じたことのない揺れを感じ、思わず戸外に出た」と言い、三条市には3月17日未明に避難してきた。以下は筆者とのやりとりだ。

●帰る見通しがつかない

――避難所にはご家族で?

 私の住んでいた小高区の家は、海岸から1キロ以上離れていたので、幸い津波の被害には遭わなかった。家族は家内と息子2人。三条市には息子1人と妻、私の3人で来た。もう1人の息子は、南相馬市の原町区の避難所にいてそこから仕事に通っている。三条市の避難所に一緒に来た息子は柏崎市に移転し、今は私と家内の2人でこの避難所に暮らしている。

――避難生活のご苦労は?

 市長さんからボランティアさんまで、三条市の皆さんは本当に良くやってくださるので、生活にあまり不自由さは感じていない。私は、4月の一時帰宅の際に自家用車も持ってきたので、移動もできる。

――南相馬市の仮設住宅への転居は?

 南相馬市では仮設住宅への入居が既に始まった人たちがいる。鹿島区に500戸くらいと聞いている。当然、津波で家を流された人や高齢者が優先のため、私のような者にはまだ(抽選が)当たる可能性はない。追加で供給されてもまだ足りないのではないか。3000〜4000戸分の希望がある仮設住宅の数は、圧倒的に足りない。私のような家族が入居できるのは、いつになるのか全くメドがつかない。アパートでもあれば、今までの住居の近くに帰りたいと思う。

 三条市の皆さんには思った以上に支援をいただいている。しかし、自分には住んでいた家がある。自宅は(津波被害に遭わず)傷んでもいない。できれば、1日でも早く帰りたいと思っている。

 仮設住宅供給のメドがつかない、アパートも足りないのであれば、帰る見通しさえつかない。南相馬市周辺の市町村で仮設住宅が余っているとの情報も伝え聞くが、入居できるかは不明で、現地の役所からの情報も足りない。

●政府は見直しを

――健康状態は?

 私自身、ここ10年以上血圧が高い状態だが、薬を服用しているので大丈夫。家内も血圧の薬を飲んでいるので大丈夫だ。

――原発についての率直な気持ちは?

 まだこの避難所に東電の人は1回も来ていない。南相馬市は原発に近いが、(他の周辺市町村に比べ)原発に絡んだ恩恵はほとんどない地域だった。原発さえなければ、避難することもなかった。

 いつも不思議に思うのだが、私が住んでいた「20キロ圏内」だが、放射線量は(避難対象となっていない)他の区とあまり変わりはない。非対象地区がなぜ普通の生活を送れるのか。福島市や郡山市でも線量が高い地域がある。なぜ小高区の住民がこのような事態に遭わねばならないのか、不満はある。

 南相馬市の桜井市長に事態打開を訴えたが、政府の定めたことなのでと言われた。なぜ小高区の住民が防護服とマスクを着用して一時帰宅するという制限を課せられねばならないのか。放射線量による避難指示という方向で、政府は見直しを図ってもらいたい。

 新聞、テレビによれば、原発はまだ落ち着いていないようだ。一番心配なのは、この避難所にいつまでいることができるのかだ。妹が福島駅前に避難しているが、そこは7月いっぱいで退居するように通告された。

 三条市は避難所を閉鎖することはないと言ってくれたが、いずれ避難所は集約されていくのだろう。福島県に帰る人も増え始めているので、正直なところ心細い。それに、ここでなにもせずに過ごしているのが悪いような気がしている。

 菅首相はお盆ころには全員分の仮設住宅を用意すると言ったが、果たして、その通りに事が運ぶのか非常に心配している。

 地震は天災だ。自家用車を取りに行った際、故郷の海岸線を走ってみた。本当に酷い状況だった。もう、なにも残っていなかった。しかし、原発事故は考えてもみなかった事態だ。この前、妻の弟の遺体が見つかった際、立ち会って火葬してきた。しかし、この(避難所生活)状況で葬式さえ出してやることができなかった。事態が正常に戻れば改めて弔うつもりだ。

●憲法違反状態を是正せよ

 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」――。

 今さら説明するまでもないが、日本国憲法第25条の条文だ。先の杉さんのインタビューをもう一度、読んでいただきたい。

 三条市が懸命に避難者のケアを実行していることから、衣食住に関しては「最低限度の生活」が維持されている。ただし、杉さんが触れたように、彼らが避難所生活を強いられているのは、あくまでも原発事故によって生じた人災によってのこと。

 インタビュー中、「まだこの避難所に東電の人は1回も来ていない」と発言したあと、杉さんはしばし黙り込んだ。人災を引き起こした加害者に対する怒りが、沈黙に直結したのだと筆者は理解した。

 杉さんは、親族の葬儀さえままならない状態に置かれている。身近な人を弔うという行為まで封じられ、居住の自由さえも制限されている。言い換えれば、人間としての尊厳を深く傷つけられているのだ。批判を恐れずに言えば、この状況は憲法25条に違反しているのではないだろうか。

 國定三条市長のインタビューで、同市長は避難された方々に気を遣わせないよう腐心していると語った。実際、杉さんらは、こうした意図を敏感に感じ取り、市長や市の職員たちと気さくに接していた。だが、筆者は何度も首を傾げた。本来ならば、三条市の職員や市民のボランティアが担っている南相馬市の住民たちへのケアという役割は、加害者である東電が率先して行うべきではないのか。

 東電には、約3万6000人の社員がいる。原発事故対応が手一杯で、避難所まで人を割く余裕がなければ、お得意の“下請け”“孫請け”を人材派遣会社などから動員すべきではないのか。三条市職員や、市民のボランティアの善意に依存し、また、避難した住民の声を聞くことなく、企業としての体裁を保てるとは、筆者は到底思わない。

 南相馬市をはじめ、東北地方の人たちは我慢強い。また、自らの意志を声高に主張する人たちではない。郷里の三条市民についても同じことが言える。先週掲載したインタビューで、國定市長は語気を強めて東電を批判したが、首長という立場上、まだ腹の底には大きな怒りが沈殿していると筆者はみた。

 永田町で椅子取りゲームを繰り返す国会議員、そして災害の当事者でありながら、取材時点で一度も避難所を訪れていない東電関係者は、憲法違反状態を自ら作り出し、かつ杉さんら避難民を苦しめ続けていることを、改めて理解していただきたい。


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