Jun 03, 2011

マンション管理の人気について

最近では、資産活用の一環として、マンション事業を行なっている方も少なくはない。マンションというと、単に住居が住んでくれるだけのコミュニティが増すばかり。そう思うという方も少数だろうが、マンションの管理は、貯蓄と違って期待以上の収入を手に入れることができます。そこで最近、マンション事業が人気を集めています。
不動産投資信託を保有していれば、いろいろわかってくる。また、都心を歩いていても、このビルは、どこに保有しているのか、とか、このビルは、自分が保有している不動産投資信託のだろう、とかそのような観点から眺めることができます。自分では到底保持できないビルに投資をしていると思うと少し満足している。
 県教委は22日、県立高・中学校の12年度募集定員を発表した。高校全日制は計6680人で、前年度比40人減。北部学区の中学校卒業見込み者が減少していることなどを踏まえ、厳木高普通科の定員を40人減とした。
 全日制高校では、前期試験や推薦入学の代わりに、学校ごとに試験科目などを定める「特色選抜制度」を導入。推薦制度は廃止され、全ての高校で2段階の選抜試験が行われることになる(定時制、通信制、太良高全県枠は除く)。
 県立中の募集定員は、致遠館160人▽唐津東120人▽香楠120人▽武雄青陵160人。
 県こども未来課も、私立中・高の募集定員を発表。高校は計2225人で、前年度から55人増加した。中学の募集定員は、龍谷前期60人、後期若干名▽佐賀清和60人▽弘学館135人▽東明館専願30人、一般130人▽成穎前期50人、後期20人▽早稲田佐賀120人。【蒔田備憲】

7月23日朝刊

 ◇西日本各地から
 島原市長杯争奪第5回西日本中学硬式野球島原大会(レインボーリーグ西日本中学硬式野球連盟主催、毎日新聞社など後援)が22日、長崎県島原市営球場で開幕した。福岡、山口、佐賀、熊本、鹿児島、兵庫各県から14チーム、選手約320人が出場。23、24の両日、同球場を主会場に予選リーグと決勝・順位トーナメントを繰り広げる。
 開会式は、前回優勝の下関ホエールズ(山口)を先頭にグラウンドを行進。本社ヘリ「オオルリ」が上空から始球式用のボールを落とした。

7月23日朝刊

 九州電力玄海原発3号機で実施されているプルサーマル発電のMOX(プルトニウムとウランの混合酸化物)燃料使用差し止め訴訟の第3回口頭弁論が22日、佐賀地裁(野尻純夫裁判長)であった。原告側が求めていた12点の確認事項について、九電側が説明の書面を提出。しかし、企業秘密として示さない数値もあったため、原告側は「福島でこれだけの事故が起きているのに示さないのはおかしい」と反発している。
 九電側が示さなかったのは、燃料棒の内圧に関する数値など。原告側はこの数値が燃料棒の不純物の含有率などとも関連し、MOX燃料の危険性を検証する上で重要だと主張している。
 原告側の冠木克彦弁護士は「福島の事故以降に企業秘密は通用しない。真面目に安全性を立証するなら明らかにすべきで、今後の弁論で数値を出さざるを得なくなるよう追及していきたい」と話していた。

7月23日朝刊

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 ◇通信制3年・岸川さん、音楽仲間と出演−−あす
 県立佐賀北高通信制3年生で視覚障害を持つ嬉野市の岸川伸資さん(41)=鍼灸(しんきゅう)マッサージ院経営=が、24日の同高文化祭に音楽仲間とちんどん屋で出演し、東日本大震災への募金活動をする。
 岸川さんはかつてロックでプロを目指したが、バンド解散とともに父の鍼灸院を継いだ。28歳の時に夏祭りで初めてちんどん屋をやり「子供からお年寄りまで喜んでくれた。ロックばかりだったが、人の役に立つ音楽もしたいと思うようになった」。嬉野の観光PRで東京までちんどん行脚したこともある。
 ちんどん隊は他に同市の学習塾講師、大塚直美さん(45)、福岡市の塗装業、高田博さん(39)、伊万里市の保険業、中村正巳さん(58)ら。大塚さんは「伝統芸能であるちんどん屋をナマで見て楽しんで」と言う。義援金は模擬店の収益と合わせて被災地にある通信制高校に送られる。【上入来尚】

7月23日朝刊

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 ◇辛抱の人生、死の恐怖は消えた−−中下智明さん(81)
 66年前の8月、爆心から1キロ西で被爆した。当時15歳。前月に実家の呉市が空襲に遭い、両親と一番下の弟を亡くしていた。自分と18歳の姉、12歳と9歳の弟の4人が残された。失意のどん底にあったが、1人前の鉄工職人になり、長男として家族を養おうと決意した矢先だった。
 「親がおらんようになっただけでもきつかったのに、なんで原爆にも…。空襲と原爆で人生がすっかり変わってしまった」
 保険会社支店長だった父に、手に職を付けるよう勧められ、44年に14歳で見習い工に。旧祇園町(現安佐南区)の工場で軍に卸すフライス盤の製造に打ち込んだ。原爆投下の朝は広島市内で建物疎開に駆り出されていた。せん光とともに民家の下敷きに。がれきの隙間(すきま)に体が収まり、九死に一生を得た。
 工場は救護所のようだった。8月末まで被爆した社員を世話したが、体調不良で現在の北広島町に疎開。40度超の高熱、歯茎からの出血などで1カ月寝込んだ。
 「工場に逃げてきた社員が毎日死んでいった。自分も髪の毛が抜けてきて、『死ぬんじゃ』と子供ながらに思った。被爆の後遺症で死ぬのが怖かった。その恐怖は寿命も近づいた75歳を超えて、ようやく消えました」
 仕事を辞めて呉に戻り、姉弟と4人で暮らし始めた。「苦しくても一緒に暮らしなさい」が母の遺言だった。年齢をごまかして進駐軍の日雇い仕事をし、食いつないだ。
 「親がおらんので、店に行っても『子供じゃ売れん』と言われて芋も買えん。頼る人もおらんけ辛抱の連続じゃった。我慢強くなれたし、少々のことではへこたれなくもなった」
 59年に結婚し、子供を授かった。飲料会社などに勤め、一家を養った。孤児となって焼け野原を生き抜いた経験が、人生の支えになった。「親がおれば」と何度も思った自分に、孫の成長に目を細める日が来るとは夢にも思わなかった。
 戦後66年。ともに苦労を重ねたきょうだいで健在なのは、弟の量人(かずと)さん(78)だけになった。3月の東日本大震災以降、報道などで家族を亡くした被災者に接するたび、自らに重ねて思いを寄せる。
 「きょうだいが一丸になったから生きてこられた。『腹に立ったことは水に流せ 恩を受けたことは石に刻め』。両親の教えが身に着いていたせいじゃろう。家族に囲まれ、辛抱の人生で良かったと今は思う」【藤顕一郎】
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 ■人物略歴
 ◇なかした・ともあき
 1930年、呉市生まれ。44年4月、三菱工作機械入社。45年7月の呉空襲で両親と弟(当時3歳)を亡くし、同年8月に広島市堺町で被爆した。現在は妻、長男家族と呉市で暮らす。

7月23日朝刊

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